氏名 黒岩たかひろ
生年月日 1966年(昭和41年)10月13日生まれ 性別
座右の銘 「全て潔(いさぎよ)し」 血液型 A型
好きな食べ物 焼き鳥、山菜 特技 スキー

プロフィール

年次 エポック
1966年(昭和41年)10月13日 0才 男女の双子として生まれる
1973年(昭和47年)3月 6才 大和町立浦佐幼稚園卒園
1977年(昭和52年)4月 10才 家計を助けるため新聞配達を始める(月6千円のバイト料)父親は町役場の職員であるため、
7人兄弟を育てるのは経済的にきつかった。
1979年(昭和54年)3月 12才 新潟県南魚沼郡大和町立浦佐小学校卒業
1982年(昭和57年)3月 15才 新潟県南魚沼郡大和町立大和中学校卒業
1985年(昭和60年)3月 18才 新潟県立六日町高校卒業
1985年(昭和60年)4月 18才 東京大学教養学部文科I類入学
1985年(昭和60年)5月 18才 加藤紘一防衛庁長官(衆議院議員)の秘書として議員会館事務所に通う
1985年(昭和60年)7月 18才 加藤紘一衆議院議員の息子・娘の家庭教師となり
週2回加藤紘一衆議院議員の自宅に通う(3年間通い続ける)
1987年(昭和62年)4月 20才 東京大学法学部進学(東大3年生)
1990年(平成2年)4月 23才 大学6年目(3回目の4年生)となり、親からの仕送りを止められる。
(バイトで生活費・大学授業料を自力で稼ぐ)
1991年(平成3年)3月 24才 東京大学法学部中退(卒業に数単位足りず、自ら「退学届」を大学に提出する)

生い立ち

<誕生>

昭和41年10月13日生まれ。4男3女の長男。

姉の萌実とともに男の子と女の子の双子として生まれました。

<幼少期>

昭和45年4月、地元の新潟県大和町にある浦佐保育所に入所。

写真(中央)から分かるように、いつも友達の中心にいておどけるやんちゃ坊主でした。

<小学時代>

昭和48年4月、新潟県大和町立浦佐小学校に入学。

夏は水泳や野球、冬はスキーと、スポーツ三昧の小学校時代を過ごしました。

<中学時代>

昭和54年4月、新潟県大和町立大和中学校に入学。

サッカー部に所属し、毎日ボールを追いかけていました。写真の青いユニフォームが黒岩です。

ポジションは攻撃の要であるセンターフォワード。現在の国会質問の攻めの鋭さにつながる貴重な経験でもあります。

<高校時代>

昭和57年4月、新潟県立六日町高校に入学。

写真は高2の運動会の時のもの。前列左で変な座り方をしてるのが黒岩です。

高校時代でもサッカー部を続ける傍ら、仲間とも大暴れしていました。「越後の暴れん坊」と呼ばれる由縁です。

<大学時代>

昭和60年4月、必死の勉強の末、東京大学教養学部分文科T類へ進学しました。この頃から本格的に政治の道を志します。

昭和62年、東京大学法学部へ進学するも平成3年に中退。

<社会人時代>

「(株)黒岩地域福祉研究所」を設立し代表に就任。日頃から問題意識を抱いていた福祉の研究・実践に没頭します。

平成13年、福祉の現場に更に深く関わるべく、高齢者・障害者介護福祉の総合会社である「(株)日本アビリティーズ社」に入社。ここでの実践的勉強が現在の国会での政策立案に大きな影響を与えています。

同13年3月、母親の黒岩秩子さんが繰り上げ当選(1995年参議院議員選挙比例区にて「新党さきがけ」で立候補するも次点落選)で参議院議員に。「(株)日本アビリティーズ社」を休職し、公設秘書第1秘書として母親を全面的にバックアップ。同時に、自身の政治家へ意欲を激しく意識する瞬間でもありました。

<2002年選挙戦>

平成14年1月、自民党参議院議員の死去に伴う参議院新潟県選挙区補欠選挙に「民主」・「社民」・「旧自由」・「連合」・「市民団体」の5本柱から推薦を受け無所属候補として立候補を表明。
補欠選挙は一人区の選挙なので小泉純一郎首相の支持率が85%〜90%の下、自民党公認候補との事実上の一騎打ち(選挙結果は共産党公認候補12万票獲得)の戦いに誰も出る人がおらず、無理矢理東京でサラリーマンをしていた黒岩に白羽の矢が。黒岩が何度も断るも強引に引きづりだされた形です。

「越後の暴れん坊」のキャッチフレーズで新潟県内を駆け巡りました。

そして同年4月28日、相手候補に約20万票もの差をつけて見事初当選!!

<民主党の暴れん坊>

平成17年12月13日、選挙中に掲げていた「3年間無所属」の公約をしっかりと果たし、晴れて民主党に入党。

活躍の場を更に広めた「越後の暴れん坊」こと黒岩たかひろは、地元新潟県民の想いを背に、現在の最大の政策である「政権交代」に向け只今驀進中です。

<民主党の暴れん坊・その2>

政権奪取へ新たな挑戦!

07’参院選では民主党2人当選には及ばず僅差で惜敗するも、県下支持者の熱望に応えて次期衆議院選挙新潟3区(新発田市、村上市、五泉市、胎内市、阿賀野市、旧豊栄市、岩船郡、聖籠町、阿賀町)で出馬を決意。民主党公認候補として政権交代に挑みます。

<民主党の暴れん坊・完結>

第45回衆議院総選挙(2009年8月30日)にて、新潟県最高得票率(66%、全国で8位の得票率、15万4985票)で当選。赤黒黄色の暴れん坊カラーから3区の田園豊かな稲穂カラーと「変える時」で挑む。支援頂いた多数の皆様の期待に応えるべく改めて国政で頑張る決意をする。

<黒岩政(まつりごと)通信の発刊>

参議員初当選以来発刊していた黒岩たかひろ応援団会報「暴れん坊通信」(2003年2月創刊号)に代わり衆議員当選にて「黒岩政通信」を発刊する(2009年10月創刊号)。国会、地元での日常を写真で飾る活動報告と応援団との交流の会報。黒岩たかひろ応援団ご加入の皆様に年間4回届けています。

<法務大臣政務官に就任>

平成22年9月21日衆議院1期生でありながら菅総理より「政務官」を拝命。国会に送って頂いた有権者の皆様に感謝し、法務省での「公務」と議員としての「政務」を両立し、民主党内閣の一員として責任を果たす決意をする。菅内閣のみならず鳩山政権時代を含め、民主党政権下では衆院1期生での政務官就任は黒岩1人のみ。責任の重さを痛感しています。

 

<平成26年12月14日衆議院議員選挙>

約8千票差で新潟県内6小選挙の内、野党で唯一の小選挙区当選を果たした。

 

<平成26年12月民主党役員に就任>

岡田克也代表の下、民主党国民運動委員長兼青年委員長として総勢17人の役員に抜擢される。

 

<平成29年10月22日衆議院議員選挙>

無所属で立候補し、ジャスト50票差という歴代最小差という僅差で小選挙区で勝利する。

 

<平成30年5月国会質問数衆議員で6位>

「無所属の会」に所属し、平成30年国会で予算委員、法務委員、災害特別委員、消費者特別委員、本会議での質問数が23回となり全衆議員(465人)の内、6位の質問数となる。

 

<立憲民主党に入党>

2019年9月19日、立憲民主党に入党。 枝野幸男代表からの強い要請を受け、野党の大きな塊を作るため、そして野党第1党として力をつくし責任を果たすため入党を決意。 また、合わせて党の国対委員長代理に就任したため10月4日から始まる臨時国会でもしっかりと仕事をしてまいります。

 

<桜を見る会>

前総理が私を「真っ赤なウソつき」呼ばわりし、私が「そっくりそのままお返しする」と火花を散らしました。どちらがウソつきかは明らかでした。

 

<ワクチン接種推進追求チーム>

コロナ関連。私は野党合同の感染実態解明チームの責任者となりヒアリングでの追求、予算委員会での質疑。
菅総理長男、総務省違法接待の追求チームの責任者となりました。

 

<安倍・菅政権>

安倍・菅長期政権の驕りと強権的な体質が問題の本質的原因です。その対応に大忙しとなりました。

 

今までの主な役職
衆議院

法務大臣政務官

法務委員会 筆頭理事

法務委員会 委員

国土交通委員会 委員

農水委員会 委員

TPP特別委員会 委員

北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 筆頭理事

北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 委員

法務委員会 委員

政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 筆頭理事

国家基本政策委員会 筆頭理事

政治倫理審査会 委員

参議院

沖縄及び北方問題に関する特別委員会(沖北委) 委員長

参議院国会対策委員会 副委員長

内閣委員会 委員

民進党

民進党 新潟県連代表

民進党 国民運動委員長兼青年委員長

民主党 新潟県連副代表

内閣部門会議(所属党内部門会議)

次の内閣「ネクスト国土交通大臣」「ネクスト内閣府特命大臣(沖縄及び北方対策)

次の内閣「ネクスト法務大臣」

立憲民主党

国対委員長代理